まず最初に私がとても好きな教えを三つ並べます。
(1) | 一人でも多くの人が幸福になることが善 |
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(2) | 分かち合う喜びは二倍になり、分かち合う悲しみは半分になる |
(3) | 人それぞれに進む道は違ってよい |
私の解釈
そもそも「幸福」とはどんな状態か。 辞書を引けば、「満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。」と出ています。 ここ幸せ研究室では、幸福とは、めいっぱい楽しい状態、心の底から笑っていられる状態、喜びに溢れた楽しい状態としておきましょう。
「一人でも多くの人が幸福になることが善」とは、できるだけ多くの人の役に立つことが善ですよ、ごく一部の人だけに役に立ち大多数の人が困ることは悪ですよ、という意味です。ご自分で善悪の判断をされるときに、ちょっとだけ思い出してください。
「分かち合う喜びは二倍になり、分かち合う悲しみは半分になる」についてですが、例えば、あなたが子供さんで学校で先生に褒められたとします。あなたは喜んで家に帰りお母さんに嬉しい報告をされますね。それを聞いたお母さんはとても喜んでくれます。お母さんが喜ぶ様子をみてあなたはさらに嬉しく喜ぶでしょう。だから、分かち合う喜びは二倍になります。もしあなたに悲しいことがあってもお母さんがそれを聞いてくれたら、きっとお母さんはあなたを慰めてくれますね。するとあなたの悲しみは半分になりますね。だから、分かち合う悲しみは半分になります。子供を育てるお母さんのように、他人の喜びを聞くときは一緒に喜び、他人の悲しみを聞くときは同情して慰めてあげることが、とても大切なことだと判ります。 (補足5)
「人それぞれに進む道は違ってよい」とは、あなたの進む道はどのような善の道でもよいということです。今風の言い方では一人一人が個性のある生き方をすればよいということでしょうか。全員が同じようにする必要はないということでもあります。ですから皆さんも私も今の道を進んでよいのです。
補足1 積極的に幸福に
日本仏教に伝わる教えでは、苦しみから逃れる方法が主に説かれています。これは、「苦しみを減ずれば自ずと幸福になる」という基本方針ですが、回りくどく消極的な印象があります。以後の章では、もっと積極的に幸福に成れるように、教えを解釈し直して行きます。
補足2 幸福の定義
「幸福」の定義について補足します。「裸のサル(The Naked Ape)」で有名な動物学者にして画家のデズモンド・モリス(Desmond Morris, 1928- , UK)さんの著書、『「裸のサル」の幸福論(The Nature of Happiness)』(訳 横田 和久さん)には、別の幸福の定義がありました。私なりに解りやすく言い換えたモリスさん流の幸福・満足・不満・不幸の定義は次のようになります。
辞書の幸福の説明は、モリスさん流の幸福と満足に相当します。モリスさんによれば、最もましな人生とは、「ほとんどの時間を快適で満足した平和な心で過ごし、強い喜びの絶頂感を感じる幸福の瞬間がときどきある」です。
モリスさんは、幸福という絶頂感を次のように分類しています。ただし、モリスさんは、男性なので女性の視点が欠けているかもしれません。モリスさんが推奨していることは、日常をほぼ満足して過ごし時々幸福な絶頂感を感じる人生になれるよう、多様な幸福を認めて肯定的に味わうことです。
多くの人は、会社や学校といった集団に属しています。集団では、集団の目標を達成する標的の幸福、集団の勝利や売上達成という競争の幸福、チームで助け合う協力の幸福を味わうことができます。
すべての人は親に育てられます。夫婦と親子を基本とする家庭は、夫婦が子供を産み育てるという遺伝の幸福の中心地で、肉体を楽しみ安楽にする官能の幸福の場所でもあります。
標的・競争・協力・遺伝・官能以外の幸福は、個人で追求することがよくある幸福です。
以降のお釈迦様が説かれた教えの解説では、モリスさん流の幸福と満足を得るための方法の説明ということになりますが、モリスさんは、『私を不幸にしようと思ったら、確実な方法がひとつあります。それは、「こうすればあなたの人生はもっと幸せになりますよ」と、私にお説教することです。』とも言っています。だからどんな方法を聞いても、あなたが自分で納得できる方法だけを取り入れるしか幸福になれる道はなさそうです。
これから説明していくお釈迦様の教えは、迷信を含まず、現代科学との相性も良く、綺麗に整理され、数が少く覚え易く、宗教や思想の違いを越えて誰でも無料で利用できる道徳律です。この教えに従うことで得られるものは、持続する心の満足です。また、お釈迦様の教えは、モリスさん流の絶頂感という幸福も肯定しています。教えの中では、喜び・楽しみの気持ちで何事にも取り組み、目標達成へフェアプレーで努力すること、達成の喜びを人々と分かち合うことを求めています。
補足3 最大多数の最大幸福
「一人でも多くの人が幸福になることが善」とは、実際に伝わるお釈迦様の教えでは無い可能性があります。この章でこの考え方を取り入れた理由は、私が参考にした仏教の本に何気なく書かれていたという単純な理由からです。これととてもよく似た考え方は、英国の政治哲学者で功利主義の創始者であるジェレミー・ベンサムさん(Jeremy Bemtham, ベンタムでもベンサムでも可、1748-1832、英国)が、「道徳および立法の諸原理序説」で発表された考え方「最大多数の最大幸福(功利性の原理)」です。
補足4 自由の互恵関係
「人それぞれに進む道は違ってよい」の意味するところは、「人間は人それぞれでありどのような考え方、発言、行動をしようと自由である」という考えにつながります。ただし、社会で共同生活を営み幸福に暮らすには、社会のルールを守ることが近道であることも事実です。そこで、自由とはどんな物か私なりのメモを書いてみます。
身体の自由
財産の自由
行動の自由
心(=感情+思想)と言論の自由
以上の考え方には、「自分の自由を認めさせるには相手の自由も認める」という対等な互恵関係(=平等)の発想があります。暴力・権力・財力を排して弱者である自分の自由を社会的に認めてもらうためには、社会全体で一人一人が平等に自由の権利を持つことを規則化することだとわかります。もし憲法・法律で国民の平等な自由の権利が保障されなければ、暴力・権力・財力が支配する暗黒社会となります。
国民の平等な自由の権利が保障されない時代に生み出されたお釈迦様の教えは、暴力・権力・財力の恐怖から逃れて安全・平穏に暮らす知恵です。しかも、この教えは現代でもきっと役立つと私は感じています。
補足5 「分かち合う喜びは二倍になり、分かち合う悲しみは半分になる」の実践
喜びや悲しみを分かち合う相手を誰にするかが、実は問題です。あなたを無条件に愛してくれているあなたのご両親となら、喜びも悲しみも分かち合うことができるでしょう。
相手が、自分の喜びを喜んでくれるかどうか、悲しみに同情してくれるかどうか、気にする必要が出てきます。その感情を、話す時期、話す内容、話す態度や表情までも注意が必要になります。
妻や夫に、異性にモテル喜びを話しては嫉妬が生まれます。
高齢者が配偶者や家族に老いや病気の苦しみをことさらに悲しんでみせると、彼らの生きる気力を吸い取ってしまいます。
家族から、友人、知人、赤の他人と、関係が薄くなればなるほど、喜びは共感されず、悲しみに同情してもらえなくなります。
あなたが生の感情をぶつけても、そのまま愛してくれる人は、現実では少ないのです。 少なくとも、あなたは、あなたを愛してくれる人を大切に愛さなければならないのです。 そして、あなたの感情を話すときは、聞いてる人から愛してもらえるように、時期、内容、態度、表情に注意してください。
もし「どんな他人の喜びでも聞くときは一緒に喜び、どんな他人の悲しみでも聞くときは同情して慰めてあげる」ことができるようになれば、あなたはこの世のすべての幸せを手に入れたことになりますが、相手が悪人の場合もあるので、よくよく注意しないとあなたの立場が無くなると思われます。
参考図書 「大往生したけりゃ医療とかかわるな - 著者 中村仁一 氏」を読んでこの補足を書き加えました。