第一部 第五章 四無量心

悟りを開いた仏陀の心を表す言葉が四無量心です。無量とは無限大という意味です。とても量が多いと考えればよいでしょう。四無量心とは、四つの大きな大きな良心ということです。

(1)慈無量心人々に楽しみと喜びを与える
(2)悲無量心人々の苦しみに同情し、それを取り去る
(3)喜無量心人々の喜びをともに喜ぶ
(4)捨無量心人々に惜しみなく施す

私の解釈

仏陀の本名は、サンスクリット語でゴータマ・シッダールタという発音で、そこから釈迦と当て字されています。仏陀とは、悟った人という意味です。ですから悟った人はみな仏陀です。そして、四無量心こそが悟った心の状態です。

慈無量心とは、人々に楽しみと喜びを与えるという意味です。楽しむこと、喜ぶこと、笑うことは、善です。仏陀から楽しみと喜びを施されたあなたはまず最初にきっと微笑むことでしょう。

悲無量心とは、人々の苦しみに同情し、それを取り去るという意味です。仏陀に苦しみを消してもらったあなたもきっと微笑むことでしょう。

喜無量心とは、仏陀自身が人々の喜びをとともに喜ぶという意味です。つまり仏陀はあなたの喜びに合わせて一緒に喜ぶのです。仏陀は決して無表情でもなく無愛想でもありません、喜びに溢れています。

捨無量心の捨は、喜捨の捨です。喜捨とは、喜びなから捨てるという意味で、布施、寄付のことです。捨無量心とは、仏陀は持てる物、金、地位、名誉、権力、知識、経験、教え、真心、体、命さえも、人々に惜しみなく施してくれるいう意味です。仏陀には、執着心がありませんから、あらゆるものを惜しみなく施すことができます。

四無量心が示している大切なことは、悟りは、世間との関りを避けて座禅を組みじっと座っているだけでは得られないということです。悟りとは、単なる知識や経験ではなく、八正道に励み一人でも多くの人が幸福になることをしている今のその心の状態のことです。

八正道に励むことで私たちも四無量心つまり悟りに到達することができます。八正道のやり方で善行を成すときは、その時がたとえ一瞬で終わっても、それはそれで悟りの状態です。善行をどんどんやり続けることで、悟りの状態も連続して行きます。ずっと悟りの状態が続けば、あなたはそのまま仏陀になります。

(四無量心のこの解釈は、仏陀の悟りとは幸福である状態そのもであるという発見から生まれたものです。)

ページ先頭へ

(更新日: 2017年03月23日)
幸せ研究室