第二部 第六章 煩悩の三惑

煩悩の三惑とは、十悪の三つの悪心のことです。

(1)貪欲貪る反正定飽きることなく欲しがる強欲や嫉妬
(2)瞋恚怒る反正思惟怒り、怖れ、怨み、憎しみ、苛め
(3)愚痴邪見反正見真実を認めず愚かな間違い・迷信を信じること

真の悪魔とは、人間の心の悪の面、つまり煩悩の三惑、すなわち、貪欲、瞋恚、愚痴のことである。

自らが愚かであることを知っていることほど賢いことは無い。

私の解釈

貪欲・瞋恚・愚痴は、貪る・怒る・邪見の仏教用語です。瞋恚は、しんい、または、しんにと読みます。とくに愚痴は、通常の意味の愚痴と異なり、愚かで無知であるの意味です。

貪欲・瞋恚・愚痴は、十悪の三つの悪心、貪る・怒る・邪見に同じです。そして、八正道の正定・正思惟・正見の反対です。

貪欲・瞋恚・愚痴の三つの悪魔が、互いに絡みつつ、誤魔化し、策謀、暗い気持ちなどの悪魔に変化して、あなたの正定、正思惟、正見に挑んで来ます。邪魔が入れば正念も乱されます。貪欲・瞋恚・愚痴の三つの悪魔こそ、あなたを苦しめる根源です。この三つを無くせば、その外の十悪、悪行為と妄語、殺生から二枚舌は、最早生じることがありません。

八正道に励むことで悪魔を退散させてください。三つの悪魔のそれぞれの性質と退治の方針は、十悪のところで説明しておきました。ぜひ今一度戻って読み直ししてください。

「自らが愚かであることを知っていることほど賢いことは無い。」とは、物事の原因と結果を正しく見るために必要な謙虚さのことです。謙虚さを失うと愚痴・邪見に入り込み、自分は何でも知っている、自分は誰よりも頭がいい、自分の意見こそ正しい、他の人の意見は聞く必要が無い、科学で解らないことはない、非科学的だから間違いだ、善悪ではない理論が正しいかどうかだ、などと一人よがりに考えます。

自分が何か悩んでいたり気分が優れないときは煩悩に取り付かれているはず。逆に悩んでいたり気分が優れないとき、あっ煩悩だと気が付くぐらいだと修行の成果も出てきたと思えます。

年末の風物詩として十二月三十一日の大晦日にお寺の鐘が百八回鳴らされるのは、煩悩が百八個あるからといわれています。ここでは簡単のため、煩悩を大きく三つに分類しています。百八個も教えられても気分が悪いだけですからね。

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(更新日: 2017年03月23日)
幸せ研究室