第三部 第七章 意識を集中

八正道の正念には、何事もはっきりと意識を集中して行うよう示してあります。

私の経験では、物事のやり始めの最初はまあまあ集中しているのですが、すぐに心が移ろいで行きます。心が移ろいで行くことを防ぐことができません。外界からの刺激に反応することは、生存本能の一種なんですね。また、思考というか考え事ですが、これも次から次から心の奥底からポッコリポッコリ湧き上がってきます。これも本能ですね。

毎朝の腹筋運動を二十回しています。一回、二回と数えるのですが、途中で雑念が入って五回目ぐらいから回数がわからなくなります。十回までまともに数えることができません。自分で自分がアホかいなと思います。気が付くと、はて、今六回かな七回かなとね。で、そこから数えて十回と、まあだいだい十回になったかなとするわけです。二十回なんでもう一度これを繰り返すわけです。腹筋運動なんて厳密に何回というほど意味がないからこれでも問題がありませんので気にすることもありませんが、例として出しました。興味が薄れたことを集中して続けることは難しいですね。

腹筋運動をもうちょっと分析してみます。最初は腹筋運動しながら、数を数えています。なにかポッカリ心の奥底から湧き上がってきて別の考えごと、例えばご飯のメニューとか考えます、ここで数を数える集中が切れてます。ところが不思議なことにご飯のメニューを集中して考えているのですね。と間もなく、腹筋運動中の体から刺激が入ってきて、あれっ今何してる、あっ腹筋、そう今何回だっけ、と呆然として、腹筋運動にも注意がいかなくなり、また数えることからやり直し、とまあ、こうなっています。

たとえば、サッカーの試合を見ていると、弱いチームが同点に追いつかれるととたんに逆転されることを恐れてしまい、良いプレーができなくなります。「負けを意識し始めてしまうのですかね。こういうときは、追加点を狙っていくほうがよいですね。」と解説者は気楽にいいますが、今戦っている選手はそうは簡単に気持ちを切り替えられないのです。

意識を集中して行っていても、意識が逸れ始めたときに、あっ逸れ始めたとまず気が付かないですね。だから、ある程度逸れ先のことを考え時間がたってしまう。これは仕方ない。とにかく早めに、あっ逸れていた、と気が付かないといけない。ここで気が付かないとさらに別の刺激でまた別の世界へ逸れて行きます。いずれにしろ、逸れていたと気が付いたら、直ちに、今するべきこと、目的に心をグイッと引き戻すことが必要です。

サッカーであれば勝利のゴールが目的、負けることを考えてはいけないのです。経験の豊富なサッカー選手であればプレー中にどんなことで心を逸らされるか良く知っているはずです。ふだんから心を逸らすことが何かよく調べておいて、状況によってどういう掛け声を掛けるか決めておきます。そして、普段から何度も唱えて練習しておく、という具合でしょうか。

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(更新日: 2017年03月23日)
幸せ研究室