第三部 第二十九章 嫉妬から身を守る

自分は男なので、男の立場からだが、、、

嫉妬とは

嫉妬とは、男女の恋愛感情での嫉妬をまず考える人が多いが、 男同士の嫉妬なら、出世競争の嫉妬がある、 (対等の仲間内からの一人出世が原因であり、周囲から抜け駆けに見えてしまう)、 女同士の嫉妬なら、どちらが綺麗で男の気を引けるかという嫉妬がある。

羨ましいという感情は、嫉妬の始まりであり、 この感情が強くなり、妬み・嫉みとなりイジメにつながる。

男が男に嫉妬するとは、同僚や「アイツ」と呼ぶライバルに対する嫉妬である。 つまり、男の敵は、敵軍の将やお金持ちであり、また味方の同僚である。

自分の妻の言、「女の敵は女」。 想像するに、女は男よりずっと本能的に個人主義であり、 自分を養う男の意識対象が、 彼女自身からより美しい別の女あるいはより若い別の女に移ることを恐れ怒り嫉妬する。

今は男女平等の時代、男から見れば、女が男の仕事場に進出してくる時代。 男社会の嫉妬のルールに女も晒され、仕事ができる女は男から疎まれる。

また、私は、女の集団に男が入ることはまだまだ難しいはずと想像しているのだが、 保母が保育士、看護婦が看護師、スチュワーデスがキャビンアテンダントと呼ばれて久しいが 、実態はどうなっているのだろうか。 私には、女の集団に男が入るときは男とし振る舞わずオネエとして振る舞うことが周囲にうまく溶けこむ方法と思う。

生物としての本能

現代生物学のテーゼ「生命の目的は、自身の遺伝子を子孫として残すこと」 このテーぜから導かれる本能で生きる野性的な人間の男の繁殖戦略は、 できるだけ多くの女に子を産ませること、つまりは、 女の優秀性は二の次で交渉する女の人数が第一優先となるはずだが、実際は違う。

生物学的には、どうか知らないが、 オスである自分の実感から、人間の男は季節を問わず一年中発情期である。 (哺乳類の多くは春に発情すると言われている、例えば猫がそう) 人間の女はいつ発情期であるのか女自身も明確には判らないそうだが、 これは男の生物学者の話なので女の真実は不明である。

現代日本で一夫多妻を敢行するためには、 男にとって感情的・道徳的・法律的・経済的な困難さが伴う、 ごくごく普通の日本人男性にとっては、 「好みの顔立ち体つきで健康で優しく賢く貧乏に耐えられて 姑と折り合いをつけられる一人だけの妻」を 望むことが現実的な戦略となる。

本能で生きる野性的な人間の女にとっての繁殖戦略は、 できるだけ優秀な男一人を確保し、生活の保障をさせて優秀な子を適度に生むこと。 やはり女にとって妊娠・出産・育児は必ず起きる現象であり重い。

女の野生本能は優秀な男一人を確保することであるから、 理想の男と巡りあうチャンスは必然的に少くなり、 たとえ巡りあってもその理想の男をつなぎとめておくことは困難であるから、 (つまり理想の男ほど他の女にモテるから浮気されやすいのである)、 結果として女の嫉妬心が強くなり、その攻撃は相手の女へ向けられる(女の敵は女)。

女は自分と子供の一切の生活の保障があれば、 (具体的には巨額の手切れ金を男から貰えれば)、 男と別れても経済的に問題はないが、 平均的な現実がそうでないから生死の問題となり、 男と簡単に別れるわけには行かない。

子を産みすぎると妊娠中・育児中に男に逃げられる確率が高くなるので悩ましい。 その男が他の女にちょっかいを出させない有効な手段が必要となる。

現代日本の一夫一妻制は、妊娠・出産・育児を生物の本能として役割分担する妻にとって 女を守る大切なものであり、ごくごく普通の男にとっても納得・妥協できるものである。

現代では避妊技術が完成しているので、ただ子供を産まないという決断をすれば、 女にとっても性交渉で男と対等に振る舞えるのだが、 女が本能で生きる男のようなフシダラな振る舞いをしたとしても、 避妊技術が完成してからわずか半世紀未満であるため、 女の中に眠る野生の本能、嫉妬心は無くなっていないはずと推測する。

脳の構造から

脳は、三層構造である。

最下層の第一層は、食欲、自己の縄張り意識、原始の性欲という原始的生命の欲望を司る。 その上の第二層は低級な哺乳類までの層で喜びと快楽、怒り、嫉妬の感情の層であり、 発展した性欲、家族の縄張り意識もここで発揮される。 感情は顔の筋肉と直結しているから感情はすぐ表情に出てしまう。 感情は言語にも直結しているので、喜怒哀楽は簡単に声になって出てしまう。 最上位の第三層は、高度な哺乳類の層で、視覚神経と聴覚神経と運動神経が高度に発達している。 さらに人間だけには文字と理性があり、理屈を考え言葉を話すのだ。

感覚の情報は、第一層、第二層、第三層にほぼ同時に並行して伝達される。 相手の表情と声が目と耳から入り、第一層と第二層と第三層で、 それぞれの本能が反応してしまい、 同時に並行して表情筋と声帯にも伝えられてしまう。 だから、理性の制止が効かずに表情と声として出てしまうのだ。

外部からの情報に対して、表情と声を出すことを抑える、沈黙の練習が必要なのだ。 「沈黙は金なり」である。

兄弟姉妹の間で嫉妬が生まれる

親の愛情を巡る争いで兄弟姉妹は互いに敵であるから、嫉妬を招く。

職場で嫉妬が生まれる

職場では、男の敵(敵という意味は嫉妬の対象になりうるということ)は同僚であり、 女の敵は常に女だから、 つねに全員が互いに敵であり牽制しあっている。

このため職場で上司が誰かを褒めることは、嫉妬を招くことになる。 この嫉妬を正常な競争心に変換できればいいのだが、、、、。

妻や彼女の嫉妬から身を守る方法

他の女の話は妻の前で一切しない。

妻の前では、女なら、母でも、妹でも、テレビの芸能人でも一切話をしないこと。 もし、しなければいけない状況なら、対象の女をいっさい褒めないこと。

仲間からの嫉妬から身を守る方法

谷沢永一さんの 『人間通の喧嘩教育論』からヒントを得て

仲間の嫉妬、、ちょっと面白くない、ちょっと腹が立つ程度の感情は、次々と伝染してやがて仲間全員に感染してピークを迎える。

仲間からの嫉妬は、このピークのタイミングで、その嵐を堂々と「さあ来い」と毅然と受け止める、具体的には、公開の場で、仲間だけがいて上役がいない場で、全員に一発殴らせる、文句を云わせる、そして決してこちらから仕返しをしない。仕返しをしないことが、仲間達に負い目を負わせ、借りがある状態にさせてしまうのだ、だからもう表立って嫉妬されない。

逆に逃げたり弱々しい意気地なしの態度でいると、強く殴られたり攻撃される、いつまでもイジメ(虐め)られるので逆効果なのだ。

世間から注目を集めれば必ず嫉妬される

日本のニュースでは、常時誰かが悪口を言われで個人攻撃されイジメられている。 逮捕されるような罪を犯してもいなのに、、、ナゼ、、、。

嫉妬されないように予防線を張ること、事前の服装・表情・受け答え練習が大切なのである。

嫉妬してくる輩は必ずいるので、マスコミ対策として、嬉しさを自分の自慢で表現しないこと、嬉しさを感謝の気持ちで表現するだけにして、客観的事実を淡々と言うに留める、記者会見でのファッションは極力地味にする。

悪口は悪徳であるにもかかわらず、マスコミの現状は、嘆かわしい限りである。

ニュース作成元と配信・放送会社は、注目を浴びることで利益を得る仕組みのためどうしても嫉妬心(心の中の地獄の火炎)を煽る報道になる。商業マスコミとは全部そういうものだ。

ニュース文面は直接的な悪口でなくとも、それを誘導する形になってしまうのが商業マスコミの本能である。

だから、私の夢の改善案は、ニュース放送は、すべてスポンサー無しとしなければならない、 匿名での誹謗中傷は、直ちに削除可能と法律で定めることである。

自分が嫉妬しないために

嫉妬の格言

感情は絶対的である。そのうちでも嫉妬はこの世で最も絶対的な感情である。 (ドストエフスキー)

幸せの入り口に、嫉妬が待ち伏せしてこれを襲う。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

子供は、嫉妬の中で育つと、人を妬むようになる。(ドロシー・ロー・ノルト)

人は自分に自信のないとき嫉妬する。(J・マーフィー)

嫉妬は損失、欠乏、悲惨をあなたに引きつける心の毒素である。(J・マーフィー)

富を手に入れようとするとき、多くの人々を大きくつまずかせる障害物は、ほかの人の富に嫉妬したり敵意を持ったりすることです。(J・マーフィー)

才能と意志の欠けているところに、いちばん嫉妬が生ずる。(ヒルティ)

嫉妬は男においては弱さであるが、女にあっては一つの強さである。(アナトール・フランス)

嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である。(三木清)

嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向かって働くのが一般であるから。(三木清)

自負、嫉妬、貪婪(どんらん)は人の心に火を放てる三の火花なり。(ダンテ)

妬み、僻み、劣等感。あいつらのおかげで、こんな性格になった。あいつらには負けねえ。(野村克也)

敵に害を与えたいなら、自分が功徳を積むことだ。敵は嫉妬で心を焦がし、自分は福徳が増える。(サキャ・パンディタ)

嫉妬の目で見られるということは、著名な人たちはすべて支払わなければならない税金みたいなものである。(エマソン)

民衆の正義とは、富豪や、資産家や、貴族や、その他の幸福なものに対して、利己的な嫉妬を感ずることである。(萩原朔太郎)

偉大な人間に対して悪口を言う人は、普通道徳的見地からではなくて、まぎれもない嫉妬心からである。(ウォルター・サヴィジ・ランドー)

素人による批評で辛らつなものが多いのは、自分にはできないという嫉妬が半分混じっているからだ。(ながれおとや)

道徳的憤りとは、大義名分を持った嫉妬である。(H・G・ウェルズ)

近頃の若い者云々という中年以上の発言は、おおむね青春に対する嫉妬の裏返しの表現である。(梅崎春生)

我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちていることを百も承知なのに。(ラ・ブリュイエール)

あらゆる罪のうちで、最も悪いものは、人を分断する罪である。嫉妬であり、恐怖であり、非難であり、敵対心であり、怒りである。要するに、人への悪意である。人の魂が、神や他者と愛で結ばれるのを阻む罪とは、こうしたことを言うのである。(トルストイ)

お気をつけ下さい、将軍、嫉妬というものに。 それは緑色の目をした怪物で、ひとの心をなぶりものにして、餌食にするのです。(シェイクスピア『オセロー』より、イアーゴーの台詞)

「大食」「肉欲」「強欲」「憂鬱」「憤怒」「怠惰」「虚飾」「高慢」 (エジプトのキリスト教修道士、ポントスのエウアグリオスにより「八つの枢要罪」)

大食・強欲・怠惰・色欲・高慢・嫉妬・憤怒 (七つの大罪 6世紀後半、神学者 ローマ教皇 グレゴリウス1世)

遺伝子を改造すること・人体実験を行うこと・環境を汚染すること・社会的な不公正を行うこと・他人を貧困にすること・悪辣に金を得ること・薬物を濫用すること (新・七つの大罪 2008年、バチカンのローマ教皇庁)

原則なき政治、道徳なき商業、労働なき富、人格なき教育、人間性なき科学、良心なき快楽、犠牲なき信仰 (ガンディーの「七つの大罪」)

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(更新日: 2017年03月23日)
幸せ研究室