第三部 第十九章 間違いを正す

間違いは、誰にでもあります。間違いを正すことは善です。間違いに気がついたり、指摘されたら早く訂正することが大切です。そして、間違いを指摘していただいた人にに感謝することを忘れてはいけません。

ときどき、間違いを認めることを恥ずかしいと感じる人がいます。恥ずかしさとは、状況の変化を怖れる心です。怖れとは、敵わぬ相手への怒りに諦めが加わり変化したものです。ですから恥ずかしさを感じることは、少しばかり悪です。感じていただきたい事は、指摘していただいた相手への感謝、正解を見つける喜びです。

間違いを指摘した人が、自分より弱い人や目下の人であると、なぜか怒り出す人がたまにいます。怒り出すことで、これまで長い時間をかけて築いた尊敬を一瞬で失い、あなたは小物に格下げされ、軽蔑されてしまいます。自分より弱い人や目下の人が間違いを指摘したら、心から感謝し、成長を褒めて、勇気を讃えてあげましょう。

怒りや嫉妬に負けて、言い争いをしてはいけません、よく相手の立場を理解しましょう。

議論と言い争いは、まったく別です。議論は共同作業です。互いを尊重し労わり合いながら隠し事をせず、状況や理論をさまざまな方向がら分析して、真理を導く作業です。

人や物事には、善の要素と悪の要素が混ざっています、善の部分を見逃してはいけません。悪の部分にとらわれてはいけません。

判断に確信が持てないときは、安心して相談できる親、先生や友人をまず頼りましょう。

あなたが、リーダーであれば、偏りなく幅広い意見を聞くことがまず大切です。反対意見を聞かずに、決定を急いではいけません。リーダーの決定には、大義の理由、世の中の一人でも多くの人々の幸福のため、が必要です。

喜び・楽しみ・感謝を忘れて、あるいは同情・慰めを失って、後ろ向きになる感情、暗い気持ちは、間違いを見過ごす元になります。

快感や苦痛に溺れて貪ってしまうと、心が高ぶりすぎてしまいます。間違いをしやすくなくなります。心を落ち着かせて穏やかな心持ちになってから、判断しましょう。

善い事をしたら喜び楽しくなる、悪い事をしたら苦しく悲しくなります。この感覚を判断基準にしてください。

自分だけや会社だけの利益を追求すると間違いを犯しやすくなります。人それぞれの立場で、物事の善悪の見方が変わります。一人でも多くの人々の幸福のためになるという目標を思い出してください。

学校で学ぶことを疎かにしてはいけません。よい先生を見つけてください。自然科学の法則でさえ時代が進むとともに見直しされ、間違いが訂正されています。大抵の法則には、適用できる範囲があります。範囲外のことには使えません。人間社会の法律や規則は、状況でどんどん変わって行きます。

自然科学が発達し教育が行き届いている現代では、さすがに迷信を信じる人は少なくなっています。世の中が発展し情報が溢れるようになりました。どのような学者でも専門を外れると素人同然であることも事実です。あらゆることに精通した人はいないのです。また自己の利益を確保するため、隠し事をしたり嘘を言う人もいます。よく考えずに権威や専門家の話を鵜呑みにして信じてしまう人が多いことも事実です。色々な人の意見を幅広く聞き、一人でも多くの人が幸福になる意見かどうかで真偽を判断するぐらいしか、良い方法が無いことに気が付きます。

自分は何でも知っている、自分は誰よりも頭がいい、自分の意見こそ正しい、他の人の意見は聞く必要が無い、科学で解らないことはない、非科学的だから間違いだ、善悪は重要ではない理論が正しいかどうかだ、理屈じゃない気持ちだ、などいう一人よがりに陥らないことです。

我関せずの無関心は、それだけで間違いです。目の前の状況に関心を持ちましょう。

犯罪者によく見られる言い訳、罪を罰せられたことを運が悪かったとすることは、邪見です。

これからするのは、偽善と偽悪の話です。

人には、善と悪が混ざっています。

善と悪を直線に並べてみましょう。無限大の善、無限大の悪が考えられるから、有限の存在である人間が、完全な善あるいは完全な悪を為すことはまず不可能と考えられます。また、善でも悪でもないちょうどゼロ(0)のところを決めることもまた、とても困難であると判ります。

無限大の悪(-∞) 悪(-) ゼロ(0) 善(+) 無限大の善(+∞)

また、善悪の区別は、それぞれの人の立場で異なって解釈されます。万人に共通の善や悪というものを設定することも極めて難しい、つまりほぼ不可能ということも判ります。

偽善を岩波国語辞典で引くと、「本心からではなく上辺を取り繕ってする善行」という意味です。日本語には、正直を意味する言行一致という言葉もあります。偽悪を岩波国語辞典で引くと、「自分から実際以上に悪人であるように見せかけて振る舞うこと」とあります。

偽善と偽悪は自分の心と行動あるいは心と発言が一致しないため、自分に嘘をつくことになります。自分自身につく嘘で本人は余計な考え事をする手間と時間が増えてしまいます。要するに手間をかけて考えるということで、自分で自分を苦しめることになります。

人は、心で感じ考え、言葉を発し、行動をします。八正道十悪は心と言葉と行動の道徳です。心と言葉と行動すべてを善で満たして行動することが真の善であることがわかります。

心には、感情(=本能的好き嫌い)と理性(=道徳律からの判断)の二段階がありますから、感情と理性が一致しない場合は、自分で自分を苦しめることになります。時には感情が理性より先走り、理性に反して、悪い言葉を言う、悪い行いをしてしまうこともありえます。また理性で損得を計算する前に、感情的に良い言葉を使ったり、善い行いをしてしまい、自分は損失を被ることもありえます。

感情とは、「本能的好き嫌い」ですから、感情を変更することは、とても困難です。理性で感情を抑えるか、ものの見方を変えて、ありのままに事実を受け取るしかありません。

最新の科学的研究によれば、人間のその場の判断は、習慣の積み重ねである無意識下での判断であるとのことです。無意識下での判断で、発言や行動が先にされてしまいます。その後に発言や行動に対する意志が心で自覚されるそうです。参考:池谷裕二さんの著作「脳には妙なクセがある」。私達が感じ信じていた自由意志(=自分で意識して自由に行動を選択出来ること)は、そもそも心自体の錯覚であるということになります。科学が示すこの知見は、これまでの常識に反するという驚に満ちた事態を招いています。それでも救いがあります。無意識下での判断は、良い習慣の積み重ねと意識的な練習で改善できるということです。

一部の人は、当人としては冷静になって考えたつもりで、それがカッコイイということで、悪ぶってみせます。典型的な例は、わざと大声で騒ぐことや自動車運転でのスピード違反の自慢などです。また中高生のタバコ、飲酒、無免許運転、その他の不良行為もカッコイイという判断から来る偽悪です。

偽善や偽悪を毎回行う人は、自分が他人からどのように見られるかということを人一倍気にして、少しでも自分を良く見せようとして、発言し行動しています。

キリスト教のイエス様の言葉に「施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」があります。意味は、偽善はそれを人に見せるために行うから、人に見られた時点で効果(=報い)を得ていて、それ以上の効果はもう得られないということです。私の経験では、人間は偽善や偽悪の匂いを嗅ぎ分ける力がとても強いく速いです。あなたが為す偽善も偽悪も、他人はその匂いを瞬時に嗅ぎ分け、あなたが偽善者か偽悪者であるかを見破っているということです。だから、この幸せ研究室もあなたが感じるように、私の自己顕示欲が書かせていることに間違いありません。

偽善に対して偽悪で対抗しようとする若い人を、よく見かけました。私も中高生の頃はそんな傾向が強かったと懐かしく思い出します。

正直であることは、大切なことですが、悪口を言わないことも大切です。正直を優先して、悪口を言ってしまう人もいます。悪口をいいそうになったら、沈黙することです。悪口を言わされそうになったら、悪口を言いたくないと切り上げることです。正直で悪口も言わないが、ひねくれた事を言って相手を困らせる人もいます。正直で悪口も言わないだけではなく、思いやりの籠もった優しく易しい言葉で話す必要があります。

人が悪ぶってみせるのは、悪ぶる人の真似を自分も繰り返しして覚えたという、がっかりすような酷い習慣の積み重ねが原因です。ですから、大人になっても不良ごっこをしているようでは、身近にいい人がいなかった可哀想な人ということになり、逆に、本当にミットモナイ人でもあります。

「偽善と偽悪は、行動としては間違いだ」そう言って切って捨てては、善を為すことも難しくなります。偽善は、より良い善を為すため、あるいは、偽悪は、より酷い悪を為すための初歩的練習と考えてはどうでしようか。

人間に、完全な善はできないから、それなら、偽善でもいいからとにかくできるところから善を成しましょうという考えを表明される賢者も多数います。参考:小池龍之介さんの偽善入門。私もその意見に賛成です。

以下は、知的な遊びとして、善悪の程度を善、0(善でも悪でもない)、悪の三段階とし、心・言葉・行動で、詳しく場合分けして見ました。言葉と行動が一致しないものは、「矛盾」としました。「許可」とは社会的に許される発言や行動かどうかということです。

No.許可言葉行動
1真大善
2真中善
3偽大善
4真中善
5真小善
6偽中善
7×矛盾大善
8×矛盾中善
9×矛盾小善
10真中善
11真小善
12偽小善
13秘善
14
15秘悪
16×偽小悪
17×真小悪
18×真中悪
19×矛盾小悪
20×矛盾中悪
21×矛盾大悪
22×偽中悪
23×真小悪
24×真中悪
25×偽大悪
26×真中悪
27×真大悪

相手の、発言や行動が一見すると善に思えますが、最終的に嘘がバレて、騙していたことになる場合があります。例、悪徳商法のボロ儲け話。これは詐欺という犯罪です。「うまい話には裏がある」という言葉を忘れてはいけません。

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(更新日: 2017年03月23日)
幸せ研究室